828 当時は考えもつかなかったが、39年、池田さんの二度目の総裁任期切れが近づいたころから二人の雲行きが怪しくなってきた。池田さんは私に「君、佐藤に会うそうだが、その時はこう伝えてくれ。総裁選に出るそうだが、やれるもんならやってみろ」と力んでみせる。しばらく経って、玉川の土筆亭という料理屋に佐藤夫妻を招いた。果たせるかな、佐藤さんは「池田君は後をどうするつもりかね」と聞いてきた。池田さんがあれだけ力んでいる以上、「あなたに決まってますよ」とはいえない。正直すぎたが「池田さんももう少しやって、それから誰かいい人を考えるということでしょう」と答えた。 佐藤さんの怒りようはなかった。「何だ、その返事は。おれと君の間で、誰かとは何だ」といって帰ろうとするのを、寛子夫人と家内とで懸命に引き留め、ようやく席に戻ったものの、これが契機で佐藤さんとの関係はすっかり冷えてしまった。 土筆亭の事件のゆえばかりではないと思うが、佐藤さんは首相になると、「人事の佐藤」ぶりを発揮し、私と同じ選挙区の競争相手を重用したりした。私はずっと冷や飯生活であった。 小坂善太郎2018/03/21 22:001
874 小坂善太郎(1912-2000) 1946年、衆議院議員(34) 1947年、大蔵政務次官(35) 1950年、衆議院予算委員長(38) 1953年、労働大臣(41) 1954年、犬養法相に代わり国家警察を担当、初代国家公安委員会委員長を兼任(42) 1960年、外務大臣3期(48) >>828 1971年、自民党政調会長(59) 1972年、経済企画庁長官(60) 1976年、外務大臣(64) 匿名さん2022/08/07 11:44