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【ペン専用】超新星★56
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妬み嫉妬叩き合いはほどほどに〜
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>>948
Yが通る側で見たいんじゃないの?
書きかたが悪すぎる
971
さ〇かここ見てるねw
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佐藤はこの日の午後、内外記者団との会見で「北爆停止だけでベトナム和平の話がつくとは考えられぬ」と語っている。
正午からは王宮で国王と妃殿下に拝謁、勲章を授与され午餐会に出席する。夜はタノム首相の晩餐会である。タイ舞踊も見物出来た。
この晩餐会のあと、ちょっとしたハプニングが起きる。帰りの車が混乱して、佐藤の護衛が車に乗りそこねて大使の車に便乗する。佐藤の護衛とは知らぬ大使が、車の中で散々佐藤の悪口をいう。バンコクで滞在中の日程で、大使の意見が容れられなかったのが不満のようだった。大使の話はすぐ秘書官に報告され、佐藤の耳にも入ったし、随員の四人の国会議員も聞いた。
「いやしくも一国を代表する大使が、その任地に自国の総理大臣が滞在中、私憤にもとづいて悪口を言いふらすとは何事か」ということで、帰国後、四人の議員から外務省に強硬な申し入れがある。大使は間もなく帰国して首相に面会を求めるが、首相は応じなかった。
最後の訪問国ラオスへは、飛行場の関係でバンコクからプロペラ機に乗る。バンコクではタイ政府関係者のほか、邦人やその子供たち、タイの学生たちが大勢出て来て盛大な見送りをしてくれる。
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佐藤はこの日の午後、内外記者団との会見で「北爆停止だけでベトナム和平の話がつくとは考えられぬ」と語っている。
正午からは王宮で国王と妃殿下に拝謁、勲章を授与され午餐会に出席する。夜はタノム首相の晩餐会である。タイ舞踊も見物出来た。
この晩餐会のあと、ちょっとしたハプニングが起きる。帰りの車が混乱して、佐藤の護衛が車に乗りそこねて大使の車に便乗する。佐藤の護衛とは知らぬ大使が、車の中で散々佐藤の悪口をいう。バンコクで滞在中の日程で、大使の意見が容れられなかったのが不満のようだった。大使の話はすぐ秘書官に報告され、佐藤の耳にも入ったし、随員の四人の国会議員も聞いた。
「いやしくも一国を代表する大使が、その任地に自国の総理大臣が滞在中、私憤にもとづいて悪口を言いふらすとは何事か」ということで、帰国後、四人の議員から外務省に強硬な申し入れがある。大使は間もなく帰国して首相に面会を求めるが、首相は応じなかった。
最後の訪問国ラオスへは、飛行場の関係でバンコクからプロペラ機に乗る。バンコクではタイ政府関係者のほか、邦人やその子供たち、タイの学生たちが大勢出て来て盛大な見送りをしてくれる。
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ビエンチャンの空港には、ラオス首相プーマ殿下が出迎えた。妃殿下は国際会議にラオス代表として出席のためイタリアに行っていて不在だったが、殿下の王女が代理をつとめる。晩餐会には、タイとは違ったラオスの踊りがあった。
プーマ首相との会談は、その私邸で行われた。会談の前にバシーという儀式を受ける。何かお経のような呪文を唱えて、佐藤の両腕に白い糸の輪をかけるのである。この糸は三日間そのままにしておいて、その後外してもよいが刃物で切ってはならぬ、と言われる。うす汚い老人がやるので、佐藤も多少迷惑そうだった。
佐藤、プーマ会談では、ベトナム問題については「それぞれの立場から、平和解決のため最大限の努力を継続することで意見の一致をみた」とする共同声明から一歩も出なかった。ラオスは戦争当事者の北ベトナムと、長い国境で接する特殊な立場にあった。
その代り日本との経済協力については極めて積極的だった。ダムの建設から空港の拡張、管制塔の新設、下水道の建設、さらに経済調査団の派遣要請にいたるまで、佐藤が「外交ルートにのせて検討しよう」と区切りをつけなければ、要望は際限なく続いたろう。
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ビエンチャンの空港には、ラオス首相プーマ殿下が出迎えた。妃殿下は国際会議にラオス代表として出席のためイタリアに行っていて不在だったが、殿下の王女が代理をつとめる。晩餐会には、タイとは違ったラオスの踊りがあった。
プーマ首相との会談は、その私邸で行われた。会談の前にバシーという儀式を受ける。何かお経のような呪文を唱えて、佐藤の両腕に白い糸の輪をかけるのである。この糸は三日間そのままにしておいて、その後外してもよいが刃物で切ってはならぬ、と言われる。うす汚い老人がやるので、佐藤も多少迷惑そうだった。
佐藤、プーマ会談では、ベトナム問題については「それぞれの立場から、平和解決のため最大限の努力を継続することで意見の一致をみた」とする共同声明から一歩も出なかった。ラオスは戦争当事者の北ベトナムと、長い国境で接する特殊な立場にあった。
その代り日本との経済協力については極めて積極的だった。ダムの建設から空港の拡張、管制塔の新設、下水道の建設、さらに経済調査団の派遣要請にいたるまで、佐藤が「外交ルートにのせて検討しよう」と区切りをつけなければ、要望は際限なく続いたろう。
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昼前、佐藤は寛子夫人を伴って、王室から迎えの飛行機でバッタナ国王を訪問する。国王から勲章を授与され、午餐を共にする。
今次旅行の最後の行事だったが、この日は朝から佐藤は不調だった。ビエンチャンの宿舎は市場の近くだったが、大変に静かで睡眠も十分にとれた。それでも何となく身体に力がなく、国王に謁見するまで調子が妙だった。連日の暑さにやられたかもしれない。
しかしビエンチャンにもどり、もう一度バンコクへ引返すときは、元気をとりもどしていた。五ヵ国歴訪を終えた佐藤は、30日バンコクで記者会見を行い「ベトナム問題の解決には、国際世論の喚起が必要だ」と語り、また中国問題については「各国とも中国に脅威を感じている。中国はちょっとしたことでもきびしく批判するので、良い感情を持っていないようだ」と、直接各国首脳から受けた中国恐怖感の印象を述べている。
佐藤はついにベトナム和平への手がかりを見出すことは出来なかったが、歴訪諸国と友好関係を深めることには大いに効果があり、大成功だった。第二次大戦後、これらの諸国から日本に向けられた疑いの眼は、佐藤訪問を機会に少しずつ信頼に向きを変えてくるのである
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昼前、佐藤は寛子夫人を伴って、王室から迎えの飛行機でバッタナ国王を訪問する。国王から勲章を授与され、午餐を共にする。
今次旅行の最後の行事だったが、この日は朝から佐藤は不調だった。ビエンチャンの宿舎は市場の近くだったが、大変に静かで睡眠も十分にとれた。それでも何となく身体に力がなく、国王に謁見するまで調子が妙だった。連日の暑さにやられたかもしれない。
しかしビエンチャンにもどり、もう一度バンコクへ引返すときは、元気をとりもどしていた。五ヵ国歴訪を終えた佐藤は、30日バンコクで記者会見を行い「ベトナム問題の解決には、国際世論の喚起が必要だ」と語り、また中国問題については「各国とも中国に脅威を感じている。中国はちょっとしたことでもきびしく批判するので、良い感情を持っていないようだ」と、直接各国首脳から受けた中国恐怖感の印象を述べている。
佐藤はついにベトナム和平への手がかりを見出すことは出来なかったが、歴訪諸国と友好関係を深めることには大いに効果があり、大成功だった。第二次大戦後、これらの諸国から日本に向けられた疑いの眼は、佐藤訪問を機会に少しずつ信頼に向きを変えてくるのである
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佐藤の第二次東南アジア歴訪は10月8日から始められた。今回の訪問国には、南ベトナムも加えられており、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドなど、ベトナムへ出兵している諸国を歴訪するので、社会、共産の野党のほか、全学連などの反対が強かった。反対の理由は、またしても「日本を戦争にまきこむな」であった。佐藤首相が今回ベトナムへ行くのは、この後11月訪米の際、アメリカとベトナム参戦について協議するので、その準備としてベトナム政府と打合せをするのだ、といったおよそ考えられもしないことを反対闘争の理由としたのである。今回は社会党が年来叫び続けて来た「青年よ銃をとるな」のベトナム版であり、この次は沖縄版となる。社会党や共産党は、自民党政府は必ず徴兵制を施行して、日本の軍隊をアメリカの手先として世界中どこかの戦場に送りこむことを信じているようであった。ソ連がキューバの軍隊を何処へでも送りこんでいる前例があるので「佐藤をベトナムにやれば参戦の危険がある」と思うのだろうか。
こうした妄想にとりつかれた全学連や革新グループは、前夜から総決起集会を開き、実力で首相の出発を阻止する動きをみせた。
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