479 つづいて12日には、三閣僚辞任のあとをうけて、岸は内閣の改造を行なった。 文相― 橋本龍伍(横すべり) 厚相― 坂田道太(石井派) 自治庁長官― 青木正(復任) 経企庁長官― 世耕弘一(石橋派) 科技庁長官― 高碕通産相兼任 いま一人、左藤義詮防衛庁長官が大阪府知事選出馬のため辞任した。岸は石井光次郎に入閣を再三要請したが、防衛というポストにも問題があり、石井はついに入閣を固辞する。石井に対して池田や三木と違った期待を抱いていただけに、これは岸、佐藤を深く失望させた。後任は伊能繁次郎にまわった。 あたらしい体制に、大野も河野もいたく不満であった。 「本当ならばだ、あとの責任は持てんと、しりをまくりたいところだよ」と河野はその派の重政誠之、中曽根康弘、森清、松田竹千代、大石武一たちにいったものである。 この大野、河野にも、こんご協力を得なければ、日米安保改訂をなしとげられないと計算していた岸は、16日の夜、日比谷の帝国ホテルに二人を招いた。 ― 二人の協力を、より確実にさせるために、保証人的な人たちも同席させよう。 戸川猪佐武2018/02/10 01:001
873 橋本龍伍(1906-62) 内閣官房次長を経て1949年、民自党衆議院議員(42) 1951年、行政管理庁長官兼厚生大臣2期(45) 1958年、厚生大臣(52)。同年末、池田勇人無任所相、三木武夫経企庁長官、灘尾弘吉文相の非主流派三閣僚辞任があり、橋本厚相は文相臨時代理を兼ねることとなった。年明けに益谷秀次総務会長、世耕弘一経企庁長官、坂田道太厚相などの補充人事が行われ、橋本は文部大臣に転じた。>>479 匿名さん2022/08/05 17:53