怒りをこめてつぶやいた。保利にしてみれば
ー福田が三木などとくっつかずに田中を補佐していれば、角さん退陣のあと党内は異論なく福田後継でまとまったろうに。
ーそれを三木に操られて動くものだから、三木に政権をさらわれる羽目になったのだ。
ー福田は おれや椎名の暫定政権にも反対しおったが……おれはもし おれの暫定政権ができたら、そのあと機をみて円満に福田に政権を委譲する肚でいた。そのおれの肚がわからずに、福田は三木と一緒になって徒らに暫定政権反対を唱えおった。
いまいましくほぞを噛む思いが保利にはあったのだ。
その福田が今、三木おろしを決起したとあっては、保利はようやく ここ何年かの怒りを解き、福田を宥す気持ちになった。と同時に、三木に対して抱き続けてきた積年の批判と闘志を奮い立たせた。勝負師といわれた気質があるだけに
ー一合戦やってみるか。
というものを俄然 胸の中に起爆させたのである。
ーあるいはこれが、おれの人生最後の大勝負になるかも知れん……。
保利は 71歳の三木、福田よりも年上の 74歳であった。

田中逮捕の翌日、朝早く大平から電話があった。
「今日は時間があるから瀬田に来てくれ」
さっそく出かけると大平が私にきいた。
「今日12時、灘尾と会うのだが、どういう心構えで行けばよいか」
「総辞職して野党に政権を渡すか、自民党が頭 (総裁) を代えて党内一新か、二つに一つだ」
私は別に確たる自信があったわけではない。今までの成り行きから「こうなるしかないだろう」と思っただけである。
7月28日、朝日新聞の朝刊トップは 中曽根、二階堂、佐藤孝行、橋本登美三郎の四人をあげ、これを「汚職の疑惑」として報じた。「追い討ち」だなと思った。こう続々と名前が出てはどうにもならない。ことに中曽根幹事長の名前が出たことは痛かった。これでは三木首相が「中曽根だけをかばっているのじゃないか」の疑惑が生じるかもしれない。
この日も私は瀬田に大平を訪ねた。田中六助代議士が来ていて一緒になった。六さんは
「大平内閣を樹立しよう」
と大平と私を前に置いていった。私は
「大平さんは人より遅れて分限者になればよい」
というと、大平は
「分限者とは何か」
と聞く。六さんは
「金持ちということだ」
といった。

そこで私は
「人より早く分限者になろうとしたのが田中角栄だ」
というと、大平も六さんも黙ってしまった。
この翌日頃から人心一新の意見が自民党内から強く噴き出し始めた。有志議員は懇談会を開き、挙党態勢を確立するため「議員総会を招集せよ」の要求を掲げて動き出した。
中曽根幹事長の疑惑が一番心配だった。もし幹事長が黒なら三木内閣は総辞職しなければならぬ。「中曽根が灰色なら内閣は生きることも死ぬこともできず、最悪の状態だろうな」と思えて仕方がないのだ。
私の知り合いの若手の学者グループから 8月3日の夜、電話があって
「中曽根逮捕は一週間や十日のうちには実現しない。三木首相はそう思っている」
という重要な判断を連絡してくれた。
「中曽根が児玉ルートに属することは確かだが、地検は金銭授受の証拠がつかめず逮捕へ踏み切れない。たとえやってもタイミングがある。遅れることは確実だ」
こういうことが判った。
「やっぱり三木は実情を確実に把握しているな。これではロッキード捜査をフルに活用して政権の維持を考えることが可能になる」
私は段々その確信を深めていった。

党内の人心一新論は この頃から徐々に反三木の性格を示し始めた。「出るべき名前は出た」という安心感から、自分たちを窮地に追い込んだ三木首相への反感が火種になって燃え始めたのだ。なんとかしなければの不安感もあったことだろう。
私はこれを見ながら「もし一年前、田中退陣のあと大平が政権を担当していたら、今頃 大平は立ち往生して 上げも下げもできなかったろう。池田の声望まで傷つけてしまっただろう」と思ってゾッとした。
8月6日、私は大平によばれて瀬田にゆくと
「田中角栄が逮捕されたら、すっかり精がなくなった。政治家をやめたい」
とまたいい出した。大平は本心はやはりそうだったのだ。
私は「張りがなくなってはいけない。あなた一人の身ではないですよ」といって元気づけた後
「次は見送り福田に政権をとらせるしかない」
と大平に述べた。
8月9日、朝日新聞は米側の資料 (コーチャン証言) を基にして、政府高官として 田中、橋本、二階堂、佐藤孝行、福永一臣、加藤六月、佐々木秀世の七人の名前を列挙した。これはロッキード汚職の全範囲を明示するものであった。世の中は夏休みの最中だが、私は一つも夏休みを意識しないのだ。

おそらく三木首相もそうであったろう。
「井出官房長官、海部官房副長官は内閣改造を進言しているが、三木は『やめない。改造もしない』と頑張るつもりだ」
大平はそう判断していた。
8月14日、私は福田副総理によばれて、経企庁長官室を訪ねた。
「君の意見を聞きたい。政局はどう動くか」
「田中逮捕はあったが、児玉ルートの解明が遅れて中曽根がどうなるのかまだ判らない。ここから中曽根逮捕による内閣総辞職だけは起こらぬことがはっきりした。ロッキード究明の第一段階は終わった。8月中旬でメドがつくと思ったが、政局の変化には大分時間がかかると思う」
「新聞が騒ぐので政情はおかしくなる。反三木の鉄の環は段々締まってくるので 三木総理の力は弱くなってくるだろうが、新総裁を選ぶ党大会はのびるかもしれない」
「政権がその人 (福田) の手にくる時は、拒否しても拒否しても政権の方でその人 (福田) に寄ってくるものだ。まだまだそこまでは来ていないと思う」
私がこういうと、福田は
「大平君にも話しておいてくれ。しばらく様子を見よう。タイミングを見ておいてくれ」といった。

8月16日、検察庁は田中前総理を受託収賄と外為法違反の容疑で起訴したが、17日、田中は二億円の保釈金を積んで出所してしまう。
8月18日、私は、風邪を引いて自宅で静養している大平を訪ねた。「血尿が出た。腎臓結石がすれて痛い」と苦しそうだった。
「臨時国会をどうするか、開いたとき法案はどうなるのか、大蔵大臣の辞表はどうするか。この三つを考えておいてくれ」
私の顔を見て大平はこういった。田中内閣を造った政治責任を心中ひそかに考えていたふしがある。
「大福提携による党の再建に努力すれば、田中への撞着はおのずととれてゆく。より根本的なものに尽力すれば他のものにはとらわれなくなる。あまり心配しない方がいい」
私はこういった。大平は思い出したように
「福田から電話があった。臨時国会の扱い方を考えておいてくれ。議運族が人心一新を述べ始める。これも念頭に置いてほしい。ブーちゃんとは相談してゆくと福田がいった」と打ちあけた。
大平は「どうもきつい。寝て話そう」といって私を寝室に招き入れる。「池田がよくこうしたな。似てきた」と私は心中おかしかった。
「あなたの心にかかることは何か」
私がきいた。

「今のままなら党のエネルギーはまとまらず分散してしまうのではないか。どこに収斂してゆくのか。大福もガバナビリティ (指導性) をもっていない。これが心配だ」
大平はそういった。この頃、党内一般は「三木総理にガバナビリティがない」と盛んに批判していたのだが、このことを借用して大平は自嘲したのだろう。
大平夫人が寝室にメロンをもってきた。大平は食べようともしない。あおむけに転がって手を顔の上に組んで考え込む。
私はふと、与謝野晶子の歌を思い出した。
「『劫初より 作り営む 殿堂に、われも黄金の 釘一つ打つ』 こういう歌がある。あなたは黄金の釘を一つ打てばよい。先のことはあまり心配しない方がいい」
「他の人も釘を打とうとしている。だがこれは黄金の釘だろうか。みんな鉄の釘やらアルミの釘やらで、中には錆びた釘もあるし木の釘もある。全部 欲の釘だ。だが大平なら黄金の釘が打てる。その結果、出来上がったものが何であるかを、今から考える必要はないだろう。これは神様の領域のことだ」
「そうだ。そうすればいいな」
大平はこの時むっくり起き上がって、枕元のメロンをとりガブッと食べた。

微熱、風邪気味、疲労蓄積で肉体が疲れてくると、混沌とした政局を前に、政治家の心はどうしても萎えてしまう。
「前国会は五党首会談の申し合わせで審議を再開した経緯がある。誰もこれを忘れてしまっている。本来なら三木総理は、これこれの法案を通せば 私は総辞職いたします、と各党に説いて回らねばならないところだ」
大平はそういって怒りをぶちまける。
私は思い出したようにこういった。
「福田の周辺では 野党 (社会党) の一部と連立することを考えている (ドイツ型、イタリア型などの連立方式) 。福田は『この方式では外交問題に難点がある』と慎重論をとっている。福田周辺の打診工作に 社会党の一部からは『いまどき社会党に政権を渡されたら 分裂騒ぎになる』という返事が返ってきたらしい」
「きのう田中角栄から電話があった。迷惑をかけてすまん、といってきた。おれの方からは電話をかけなかった」
大平はここまで話した後、疲れたのか黙って寝てしまった。〈大きな動きに私は触れているな〉の思いを新たにしながら私は部屋を出た。

三木首相の足場は正しく大きく揺れ始めた。その震度は先の三木おろしの場合の比ではなかった。先の時は
ー田中派が途中で撤収した。
ー三木をおろしたとしても、その後継の椅子をめぐって福田、大平が対立し、完全な共同作戦がとれなかった。
という弱点が作用していた。そのため三木おろしは三木体制を揺るがすほどの激震には至らなかった。ところが今度は田中派が三木おろしに燃え、大福の提携が成った上に保利までが戦列に加わった。本格的な三木包囲戦線が形成され総攻撃の準備も急である。
ー三木はどのように邀撃するのか。
そこにジャーナリズムの眼が注がれた。
憂慮の色濃く井出官房長官は、折をみては総理大臣室に足を運んだ。定例閣議が終わった後、河本通産相もあとに居残って三木と要談する場面が重なった。
そうした8月半ばに至って三木は井出、河本、海部たち側近に
「8月28日をめどに臨時国会を召集したい」という意向を明らかにした。
考え方によっては、こういう政局波乱の時に国会を召集することは冒険であった。反主流派が財特法その他を潰しにかかって、それが不成立に終われば文句なく三木は総辞職に追い込まれるからであった。

ー反主流派に好餌を与えるようなものだ。
そんな懸念を井出は抱いた。
また そうなる以前、臨時国会召集を持ち出すこと自体が危険でもあった。反主流派が反対して召集不能ということにでもなれば、三木首相の威信、指導力が問われて、これもまた三木退陣を加速させることになりかねない。
ーこういう際、これは無暴な挑戦。
とも受けとれた。
「もう少し政局の推移を見てからでも、よろしいのではありませんか」
井出は慎重を期してそういった。
「若干さきに延ばしても財特法成立は間に合います。また万一それが大幅に遅れても、特別支出で赤字国債は発行できるという便宜もあるようです」
と付け加えた。
「いや……」
三木は首を振った。
「臨時国会召集を 24日の定例閣議で決定したい」
いつになく三木の強い語調に、井出、河本たちは顔を見合わせた。
「いいかね。僕は国務優先でいく。不況対策、景気振興という見地に立てば、財特法を成立させることが喫緊の要務だよ。そのための国会召集は、何物にも増して優先させなければならない」
三木一流の理屈であるとしても、筋は通っている。
「総理がそう決意されたのなら、それでよろしいでしょう」