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広島カープ応援スレ3-2
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日本一になって、黒田の花道飾れ!
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ヨコハマのが手強かったばい
961
たかがセリーグの優勝チームw
パリーグ2位と4戦やってまだ1勝ww
962
日本一は夢のまた夢
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パリーグだったらBクラス
964
A級戦犯
松山
田中
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初戦引き分けで良かったな!
地元マツダスタジアムでホークスの胴上げ見れる!
966
>>961
だってパ・リーグ2位のソフトバンクより勝ち星が少ないしな!(笑)セ・リーグのレベルか低いからリーグ優勝出来たけど広島がパ・リーグなら3位の日本ハムより下だろうな!(笑)
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木内によると甲子園を真剣に目指すきっかけを与えたのは、元広島東洋カープの名捕手で広島商業高校時代に甲子園で全国優勝の経験を持つ達川光男である。達川が東洋大学(松沼兄弟、大野久など教え子が多く進学)在学中に取手二高にコーチに来て「甲子園をねらっているんですか」と尋ねた時、木内が「こんなボロクソチームで甲子園なんて冗談じゃねえ」と応じたところ「どんなに弱くても甲子園を目指さなければ選手がかわいそうです」と諭されたという。ただ達川が広島商業のような礼儀作法をうるさく指導するので、これには細かい礼儀作法を嫌がる木内は閉口した。
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この「ささやき戦術」を始めたきっかけは広商時代、1973年春センバツ準決勝の試合前、迫田穆成に「(作新学院高等学校の江川卓に)何でもええけぇ話しかけて、帰り際に広島弁で脅してこい」と心理的な揺さぶりを指示されたのが始まりと述べている。迫田の発言に仰天した達川は「何を言えばええんですか。堪えてつかあさいや(勘弁して下さい)」と必死で許しを請うたが、認められず作戦は強行された。乗り気でない上に混乱していた達川は、「今日は…、おどりゃあ(お前)覚えとけよ!」と言うのがやっとだったという。達川は後年、この作新学院戦について「江川君は本当に飛び抜けていましたね。体も大きいし、球は恐ろしく速い」「打席で実際に投球を見たら、こんなん体に当たったら死ぬなと。そう思って、打席で1歩下がって立ってましたよ」と述懐している。江川に対して行った数々の心理作戦も、あまりにも実力差があったため「少々スポーツマンシップに外れても、ハンデとして認められるだろう」と考えていたという。
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