中曽根にしても 今はそれ以外には事態収拾の方法はないように思えた。本来こういう場合、調停に乗り出すのは長老だが、椎名は正面舞台には立っていないが三木おろし組である。保利は舞台で三木おろしの主役を務めている。こうなれば中間派の灘尾総務会長、福田派に籍のある松野政調会長、三木を支える自分……この三人で構成される三役に、福田派の安井謙参議院議員会長、三木派の石田博英幹事長代理を加えた執行部が収拾、調整を買って出るのが各派のバランスからみて妥当であり、またそうするより他なかった。
中曽根は三木邸に向かう前に、ある程度の収拾の方向を固めてあった。
「三木総理と福田、大平氏との間の開きは、総理が臨時国会と政局問題の並行処理を主張しているのに対して、福田、大平氏が臨時国会前の党一新を主張していることです。国務優先か党一新優先かの対立です。もちろん福田、大平両氏のいう党一新は、三木総理の進退を明確にせよということです。もしこの間に調整点を見出だすとすれば、三木総理はそのままで内閣改造、党役員の改選を行って、党一新を行うこと以外にはないでしょう」

「しかしね、中曽根君。そうした内閣改造や党役員改選に 福田君や大平君が果たして応じてくれるだろうかね」
この三木の疑問は過去の経緯から見て当然であった。これまで政権を担当してきた一年半以上の間に渡って三木自身、何度か改造、改選を行いたいと考えてきたのだが、それを椎名も福田、大平たちも
ー改造、改選を行うことによって三木体制が強化され、三木政権が継続することに賛成できない。
という思惑で常にこれを阻害してきた経緯があるのだ。
それだけに今になって福田や大平がこれに応じるかどうか、三木には疑問であった。中曽根もそれは十分心得ている。
「そこを何とかしたいと思います。が、これを納得させるためには臨時国会後 総選挙を前に、新しい体制を作ること……これを約束する必要があります。それでなければ反主流派は承知しないでしょう」
中曽根のいうところは三木にも理解できた。しかし三木にはそれなりのいい分があった。
「臨時国会後 総選挙を前に新体制を作ること……これはその際に僕の進退をどうにかするという意味を含んでいるんだろうが、しかし総理としての僕はいつ辞めるとか辞めないとか、これは絶対にいえない」

「それは勿論わかっておりますし、総理というものは いつ辞める辞めないということを明言してはなりません。従って明確に約束すべきではないと思います。そこで総選挙に向けて新体制を作るという抽象的な表現でいくよりほか致し方ないでしょう。それで反主流派の諒解を取りつけようというのです」
「それで連中が うんというだろうか」
「うんといわせなければならんでしょう」
「しかしだねえ、党役員改選ということになると、君はどういうことになるのかね」
三木は中曽根の顔を見つめながらそう訊ねた。改選ということになれば反主流派がこの機をとらえて
ー中曽根を幹事長から外せ。
と要求することは目に見えている。
中曽根は極めて淡々と三木に答えた。
「役員改選という以上、私は幹事長を辞めるつもりでおります。この調整、収拾にあたっては成功しようと失敗しようと、私がそのポストを賭けてやらない限りできるものではありません。私自身のことについては、ご懸念は無用です」
中曽根の胸中には これから先 自分が政治家として大をなしていくためには 一切の顕職から離れて沈潜した時間を持つべきであるという思いが凝結し始めていたのである。

日本共産党、立憲民主党、日教組は日本の癌

　　完全撲滅全国行動実行委員会

26日の午前には早くも中曽根は党本部で灘尾総務会長、松野政調会長さらに石田幹事長代理、安井参院議員会長に招集をかけて党五役会談を開いた。
「まあ三木総理が、おれはいつ退陣する……と約束でもすれば、ことは簡単だろうがね。そうもいかんところに難しさがある」
そう発言したのは三木派の石田博英であった。確かに石田がいうように、三木が進退について約束すれば納まりがつく。だが誰がみるところでも三木は頑としてそのようなことをする様子はなかった。
松野が石田の発言を引き取ってこういった。
「一国の総理というものの座は、やはり厳粛でなけりゃいかんよ。あらかじめ退陣の時期を口にするようなことはすべきではない。その限りにおいて三木総理のいい分は正しいと思うな」
「まあ松野君のいう通りだ」
中曽根はそういってから、昨夜来、自分の胸の中で固めつつあった構想を明らかにした。
「まず第一に、臨時国会に先立って内閣改造と党役員改選を行って、反主流派のいう党一新の要望に幾分でも応えることだ。この場合、僕自身は勿論、ここにおられる諸氏も今のポストを去ることになるが、これは諒承していただかなければならない」

無言であったが、それぞれ暗黙のうちにそれを承知した。
「第二には、そのあと臨時国会を開くが、この国会中に党大会を開くことにする……」
「それは名案かも知れないな」
といったのは灘尾であった。
中曽根の党大会提案が何を意味するかは、皆にはすぐに理解できるところであった。
ー臨時国会中に党大会を開く……ということになれば、これは臨時国会中に三木が解散を行わないことを意味する。と同時に、またこの党大会で三木が退陣をし、新しい総裁を選任することになるという可能性も含んでいる。
皆が中曽根提案に賛成だった。
これに基づいて、五役の代表として中曽根、灘尾、松野の党三役が南平台の三木邸を訪問することになった。この日、三木はスケジュールがなく、官邸にも顔も出さず私邸にいた。
三役を迎えた三木は昼寝の最中だった。起きてきて五役会談の内容についての中曽根の説明を、いちいちうなずきながら聞いていた。
「その収拾案には私は賛成するよ。ただしお断りしておくが、僕自身……というより総理大臣の立場から退陣の予告はできない。それは僕が守らなければならない一線だ。と同時に僕も妥協をしないわけじゃない。

重要な懸案事項を抱えている臨時国会を開会したあと冒頭解散をする、また途中で解散を打つというような懸念を反主流派は僕に対して持っているが、それはしない。ただ解散権は重大な総理大臣の権限だから、解散しないと具体的にはいえない。別の表現をとってそのことを約束する。その線でまとめてくれたまえ」
さらに収拾案を煮詰めるために、27日の午後にはその数時間一杯をかけて、三木は中曽根をはじめ党五役と個別会談を行った。
考えてみると半日がかりで五役の一人一人と別々に意見を交わす必要があったかどうかは疑問である。すでに収拾案の原則は三木・三役会談で出されている。にもかかわらず、わざわざ三木が五役との個別会談を行ったのは
ー収拾案は時間をかけて仕掛け大きく、しかも慎重に練り上げたという形をとった方が、反主流派の納得が得られやすい。
ーまた一日でも収拾までに時間をかけた方が反主流派も頭に上っている血が下がるはずだ。
そんな三木の心理作戦のタクティックからであった。

三木が収拾のための結論を提示するために灘尾弘吉を私邸に呼んだのは、それから三日後の30日であった。

その間、三木は党役員や腹心の河本、海部たちを代わる代わる呼んで意見を聞いた。とはいえ三木の結論というのは目新しいものではなかった。
先に中曽根が提案したような臨時国会前の人事刷新、あるいは総選挙に臨む新体制の確立といったものを内容としていた。
「いま伺った総理の意向を基に、最終的な収拾案を作りましょう」
そういって南平台を辞した灘尾は、10時半から中曽根康弘、松野頼三、それに石田博英、安井謙の党五役を集めて具体案の作成にとりかかった。その末に収拾三項目がまとめ上げられた。
ー臨時国会前に党、内閣の人事刷新を行う。
ー臨時国会を早期に開き、重要法案の成立を期する。
ー臨時国会終了後、総選挙に臨む体制を作り、これを党内外に明らかにする。
これがまとまったところで、それをポケットに入れて中曽根は首相官邸に出かけた。
「このように取りまとめました」
と中曽根が提示したメモを、三木はうなずきながら眼を通した。
「この線で事態の収拾ができれば結構だ」
と三木は答えた。
三木にしてみれば、この収拾は満足できるものであった。

収拾案の原則は三木がかねてから主張していた国務優先、つまり臨時国会を開き財特法案その他を成立させることを優先させていたからである。政局の問題については、いわゆる並行処理で扱われ、臨時国会が終わった後に持ち越される。それに
ー総理大臣としての進退については明示されていない。
ー総理大臣の権限としての解散権の行使についても具体的に記していない。
という点で三木には満足であった。
三木はこの後すぐに福田と大平とに電話で連絡をとった。
「3時に官邸へお運び願いたい……」

反主流派の挙党協は、いち早く五役が拵えた三項目の収拾案を聞いてホテルオークラに世話人会を招集した。次から次へ入ってくる世話人たちの表情はみな険しさをおびていた。
一向に進展を見ない三木おろしに業を煮やしているのだった。また福田や大平の弱腰に対する不満もあった。それにしてもこの朝の会合に集まった世話人たちの口からは
「昨日の稲葉法相の発言、けしからんじゃないか」
「まったく……党員を侮辱するもんだ」
などという会話がまず交わされた。
29日の夜、稲葉法相がまたしても爆弾発言を行ったのである。

このところ稲葉は土曜から日曜にかけて選挙区へお国入りするが、その郷里の新潟県岩船郡上林村での講演の中で、ロッキード事件捜査と絡めて自民党内の抗争について直撃的な演説をしたのだ。
「臨時国会は当初反三木側が早く開けといっていたが、国会開会中に国会議員から逮捕者が出れば院の逮捕許諾が必要なので大変だった。もし先月27日 (田中逮捕の日) ごろ国会をやっていれば、田中派など反主流派は多数を頼んで院の許諾請求を阻止したのではなかったか。連中 (反三木陣営) は多数を頼んで正規の手続きを経ないで270人もが集まって あのような決議をするところをみると、おそらく田中逮捕も蓋をされてしまったのではないか。幸い臨時国会は開かれていなかったので そのようなことはなく済んだ」
「灰色高官の政治的道義的な追及が これからの国会の重要な課題だ。反三木陣営はこれに抵抗しているのではないかと思う。首相を替える、法相を替えるのが人心一新というのか。政治的配慮、惻隠の情をもった方がよいなどと言う人が法相になれば、臭いものに蓋をしてしまう」