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マイクを手にして喋りだしたその声が上ずっていた。
「わが国が直面している内外の政治課題は、まことに重大である。国際情勢は東西の緊張が緩和されデタントといわれるが、朝鮮では南北の抗争があり残虐な行為が行われている。われわれは安閑としてはおられない。ところが わが国はロッキード問題が起こってから七か月間、このことで朝夕明け暮れている」
会場からの拍手で、船田もようやく落ち着きを取り戻したようだった。
「もちろんロッキード事件の解明は必要であるし、三木内閣がこれを行うことにも反対をするものではない。しかしある評論家は、日本人は目先のことにとらわれ大局を見失う恐れがあると指摘している。今日の事態は正にその通りだ。ドイツのワイマール時代に似た混乱が日本に起こっている」
船田の演説口調は滑らかになり、後に失言だと批難されるような言葉をこの後ついつい口にしてしまった。
「ロッキード事件の解明は引き続きやるのが本当であるとしても、政治的考慮のもとに解明し、国民の納得する程度で結末をつける必要がある。ロッキード問題が政治の全部であるが如き態度は まことに憂慮に堪えない」
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この部分に対しては場内からパラパラと拍手があがったに過ぎなかった。中堅や若手の議員たちの間には
ーいわずもがなのことをいう。
と むしろ眉をひそめる者が多かった。彼らはこの発言を
ー木村武雄が、なぜ田中逮捕を指揮権発動を使って阻止しなかったか、と発言したのと同じ感覚だ。
と受けとったのである。
事実、この発言について翌25日、衆議院ロッキード問題調査特別委員会で社会党の稲葉誠一が
「船田発言の真意を問う」
と稲葉修法相に質問をすることになる。このとき稲葉法相は
「私は終始、事件の真相解明に際しては政治介入はしてはならない、また政治的配慮があるべきではないといっている」
と批判した。
船田はさらに三木批判を蜿蜒と繰り広げた。
「今日、景気回復の芽が摘まれている。政治の安定を欠いては 経済の安定もない。しかも今日もっとも大切なことは『信なければ立たず』ということである……」
この「信なければ立たず」という言葉は 三木が好んで揮毫する言葉であった。それを逆手にとって三木を攻撃したのである。
「このことは政治への信頼がなければ、決してよい政治は行われないということだ。
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三木首相が政治資金規正法を改正したことは反対ではないが、三木政治はややもすれば一部マスコミにおもねり、少数で独裁政治をしている情況だ。与党たる自民党は この重要時期を打開し、わが国の独立と安定を保たなければならない。三木首相には信頼がおけない。この両院議員総会で政治の方向を誤らないように致したい。国民の信頼を得る前に 党内の信頼を得る新体制を作って、総選挙に臨まなければならない」
三木おろしの熱気はその熱度を上昇させて、拍手が会場に轟いた。このあと上原議長が
「只今の三原、船田両君の発言に異議ございませんか」
と諮った。異議なしという声と拍手が ひとしきり鳴り渡った後、上原はこう宣言した。
「異議がないので両君の発言を諒承したい。本総会の出席者は只今266人になっております。中村弘海君から動議が出ておりますので、その説明を願います」
これらは全て保利の提案に基づいて組み立てられたプログラムであった。
椎名派の若手である中村弘海が登壇した。中村は声が大きい。
「この際、動議を提案する。只今、船田先生が切々と訴えられたご主旨に従って、次のように決議するよう願いたい」
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中村は用意しておいた決議文を読み上げた。
「決議……内外情勢きわめて重大な時、わが党は立党以来の危機に直面している。われわれは憂国憂党の精神に立ち、このさい政治責任を明らかにすべきである。これがため臨時国会の召集に先立ち、速やかに党を刷新し、挙党体制を確立して国民の期待に応えんとするものである」
いってみれば三木の手で臨時国会を開かせない、臨時国会の前に三木首相をおろすということである。
中村が決議文を読み終わると、再び「賛成!賛成!」という声があがり、ほとんどが手をあげた。上原議長は
「全員挙手賛成と認める。よってこの決議は採択されました。議員総会は午後7時まで休憩致します」
と宣言して、一旦散会した。
それぞれに散っていく議員たちの間からは
「成功、成功、これで三木おろし成功だ」
といった熱気を帯びた声があがった。
皆が散っていった後、会場の幹部席に取り残された恰好で椎名副総裁、保利茂、大平派の福永健司が何とない形で居残った。それに旧田中派・七日会会長の西村英一が加わっていた。一徹な西村老人が
「こんな程度のことでいいのか」
といった。西村のいいたいところは 皆よくわかっていた。
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つまりは
ーこの議員総会では「臨時国会前に党一新を期する」という抽象的、観念的な決議をしたに過ぎない。これだけのことでは三木をおろすだけの迫力がないのではないか。
というのが西村のいうところであった。保利は腕を組んだまま答えた。
「今の段階では、この辺りが限度だよ」
「しかし一気にここで三木の不信任決議案なり解任決議案を出すべきだったんじゃないか。今の空気なら必ず成立したはずだ」
あくまで西村は不服そうであった。それを抑えるように保利は
「もちろん そういう意見もあったさ。しかしここで一気にとことんまで行ってしまえば、党は分裂だ。この後に三者会談があるんだから、そこで決着をつけるさ。議員総会でこれだけのことをしておけば、福田君も大平君も 三木君に辞任を迫りやすい。また三木君も考えざるを得んだろう」
横から椎名が口を挟んだ。
「さあ どうかな。三木という男は、そんな生易しくはないかも知れんよ」
椎名は投げやりに似たあきらめの表情を見せていた。
議員総会が終わった後、福田と大平は再び院内の大臣室で顔を合わせた。
「まあまあだったな」
自信に満ちた表情で福田がいった。
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自民党議員の三分の二以上が臨時国会前の人心一新を決議したことで、三木に辞任を迫りやすくなった、という思いを福田はそういう言葉で表現したのだ。
「いよいよ三者会談で総仕上げというところか」
福田の語調には弾むような陽気さがあった。だが大平は気が重かった。彼もまた、この後 5時からの三者会談が三木おろしのラストシーンになるだろうと思いながら、三木と会うこと自体が気重であった。三木がねっちりとした口調で、あくまで粘り強く理屈を並べるのを黙って聞いていることが、すでに苦痛だったのである。それにもう一つ、大平の気を奮い立たせないものがあった。むしろこの方が大平の心理を沈み込ませている大きな原因であった。
ーこれで三木をおろしたとして、その後は長老たちの話し合いで福田後継に決まってしまうのか。福田を総理総裁にするために、おれは三木おろしに働いているというわけか。
そういう思いが大平の胸の奥底に沈澱していた。それがまた彼の脳裏に、49年の金脈政変の場面を去来させた。
いうまでもなく田中角栄総裁の退陣の後のことである。後継として福田と大平が四つに組んだ形になった。
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大平としては田中派の協力を得て公選で勝負をつける作戦であった。田中派の協力があれば福田支持を上回る票を集める自信があった。それで公選による後継総裁選出を主張した。それに対して福田は三木と組んで
「総裁公選は諸悪の根源である。しかもこういう際であるから、総裁は話し合いで決めるべきだ」
という主張で大平と対立した。
その時の客観的な情況は、公選を避けて話し合いに傾いた。話し合いの調停に動いたのは椎名副総裁であった。椎名裁定で後継総裁の至近距離にいた福田、大平を飛びこえて、三木が総理総裁の椅子についたのだ。
大平は椎名裁定を素直にのみ下すことはできなかった。目白の田中邸を訪ねて田中から説得され、ようやく三木後継を認める気持ちになった。不承不承に大平は自らこういい聞かせた。
ーある期間、三木に政権を預けただけのことだ。その後は自分……。
しかし三木おろしが進行する中で、反主流派の空気はいつの間にか福田擁立に傾いてしまっている。大平としても、また大平派幹部たちにしても福田後継を承知したわけではない。ただ頼みの田中派が、いわば謹慎中の身で、大平としても強気の姿勢をとれないのだ。
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それに まず三木をおろすことが先決で、その足並みを乱すような行動は大平としても抑えなければならなかった。
ーまたしても、もう一期 見送らなければならないのか。
大平の気分は一向に弾まなかった。ただ救いがあるとすれば、大平はまだ66歳である。時間的には今を見送ったとしても、近い将来のチャンスがあるということだ。
そのような大平の心理のたゆたいに、福田は気付くはずもなく上機嫌であった。
三者会談に先立って、午後4時半に挙党協の船田は、院内にある自民党総裁室に反主流派の閣僚を招集した。別にこれといった議題はなかったが、午前の会合に続いて再び反三木の15閣僚が集まったのは、三者会談を前にした三木への威圧であった。
「三者会談の話し合いで三木が辞任に応じますかね」
といったのは福田一自治相であった。それに対して福田副総理は大きくうなずきながら
「まあ、ここまでくればね。それ以外に三木君としても道はないはずだ」
と自信あり気に答えた。
午前3時から院内で開かれた総務会でも、初めのうちは反主流派が議員総会の興奮をそのまま持ち込んだような感があった。
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この総務会でも三分の二を占める反主流派総務は、5時からの三者会談で福田、大平が三木首相に退陣を迫る場面を期待して勇ましかった。
福田派の有田喜一、坪川信三、大平派の福永健司たちが、そうした反主流派の威勢を代表していた。
「執行部はたった今の議員総会を無効だとして、そこで決定された臨時国会前の党一新を否認するつもりではないのか」
中曽根幹事長がそれにこう答えた。
「有効か無効かという議論の前に、われわれとしても、とにかく議員総会で党一新が決議された……それは尊重するつもりだ」
反主流派は三役が三木と福田、大平の間を調整して
ー福田、大平が一歩を譲るようなことになって、三木政権のまま臨時国会が開かれる。
という幕切れになることを恐れていた。そのことから三役が収拾に動くこと自体が気にいらなかった。保利系に属する坪川は、松野政調会長に食ってかかった。
「党内を調整というが、大平、福田、三木との会談をみると大平とは50分、三木ともかなりの長時間会っている。にもかかわらず福田とは20分足らずしか話し合っていない。これは不公平の感を免れない。意見調整にならないのではないか」
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聞き方によっては滑稽ないい分ではあったが、坪川は真剣だった。坪川の心底には 松野の福田離れ、三木寄りに対する批判があった。
松野は坪川に眼をすえて、真面目な顔でこういった。
「福田さんとの会見は確かに短かった。が、これは福田さんが、いたってはっきりした口語体で、要領よく話をされたからだ。それに比べて大平さんの話は、いつものように難解な漢語が混じって、われわれが理解するのに時間がかかったのだ」
この松野の説明には主流、反主流の別なく、全ての総務たちが一斉に吹き出した。大平の話し方は「えー」とか「うー」とか間投詞が多く、喋り方が明解を欠いていることは誰もが知っているところである。松野もつられて笑いながら、このように付け加えた。
「三木さんの話は、これまた諸君がご存知のように、政党史から始まって高邁な政治哲学にまで及ぶ。それがひとわたり終わらなければ現実論に入ってこない。勢い時間が長くなるわけだ」
この松野の発言に、再び総務会に笑いが巻き起こった。詰問した坪川も、しまいには にやにやとせざるを得なかった。
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